マカオの世界遺産を徒歩とバスですべて制覇

マカオに世界遺産は全部で30箇所。そのすべてがマカオ半島内にあります。マカオ半島の面積は9.3平方kmと、とてもせまいので、その中にある世界遺産もお散歩感覚で手軽に回れちゃいます。ついでにバスにも乗って、世界遺産とマカオの街並みを堪能しましょう。

こんにちは、マカオナビです。マカオと聞いて、みなさんがまず思い浮かべるのはカジノと世界遺産ではないでしょうか。2005年、ユネスコがマカオ歴史地区の古跡30箇所を世界文化遺産に認定しました。その30箇所すべてがマカオ半島内にある、半島の南西地区に集中しています。

マカオは国際貿易における戦略的に重要な港として、16世紀半ばから1999年までポルトガルの政権下にありました。歴史あるストリート、住宅、宗教的な建築、ポルトガル及び中国の公共的建築物の中に、東西の美意識や技術的な影響が見て取れます。 また、歴史地区には中国で最も古い砦と灯台が含まれています。 それは国際貿易に基づいた、中国と西洋が出会った最も早い時期の証拠になります。
夜のライトアップされた世界遺産もステキです。 夜のライトアップされた世界遺産もステキです。

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世界遺産に登録されるための6つの基準のうち、マカオ歴史地区はつぎの4つに該当します。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展における、相互交流と価値への影響 。→マカオは中国領土の要衝であり、ポルトガルと中国当局の間に確立された特別な関係は、数世紀に渡って、文化、科学、技術、芸術、建築の多岐に及ぶ人的価値の重要な交流に恵まれました。
(3) 現存する、または消滅した文化的伝統または文明の、唯一でまたは少なくとも独特な証拠。→マカオは西洋と中国との間の初めての、そして、最も長い間の永久の出会いという独特な証言を産み出しました。16世紀から20世紀まで、それは、貿易業者と宣教師のためにフォーカスされた地点でした。マカオの歴史的なコアゾーンを特徴付ける異文化の融合で、この出会いの影響をたどることができます。
(4)人類の歴史のある段階、もしくはいくつかの重要な段階を表す建築物、建築群、技術集積、優れた景観の例 。→マカオは、4世紀半におよぶ歴史の上で、一連の都市空間と建築群において、西洋と中国の文明間の出会いを例証し、古代の中国の港をポルトガルの都市にリンクした建築群に関する顕著な例を表しました。
(6)重大事件か生活習慣、思想、宗教、重要な芸術や文学作品に直接または明らかに関わっている。 →マカオは西洋と中国の文明間の、さまざまな文化的で、精神的で、科学的で技術的な影響の交換に関連しています。これらの考えは、直接、中国の重要な変化の導入を動機づけ、結局、帝国の封建的なシステムの時代を終わらせて、現代の共和国を設立しました。

マカオ歴史地区は、昔、ポルトガル人をメインとした外国人たちが住んでいた核心の地域でした。メインストリートと数多くの「前地(広場)」によって、マカオの重要な歴史建築物を繋ぎ、今でも基本的に、昔の姿を維持しています。この広範囲の建築群は、雰囲気が統一されていて、港と伝統的な中国・ポルトガル居 住地として、中国とヨーロッパの文化交流のすべての特徴を表現しています。マカオ半島は元々海の中にある、小さな島でした。その後、西からの泥砂が蓄積し て、少しずつ、大陸との間に砂の土手ができて、半島になりました。この砂の土手の長さは200mあまり、幅は約10mで、当時は「蓮の花の茎」と呼ばれて いました。16世紀初期、ポルトガル人がマカオに住み着く前、マカオに人が住んでいた地区は媽閣、望廈と沙梨頭あたりでした。当時のマカオの面積は小さくて、1840年までマカオ半島の面積は、たったの2.78平方㎞でした。
「蓮の花の茎」だった頃のマカオ半島(海事博物館の展示より)

「蓮の花の茎」だった頃のマカオ半島(海事博物館の展示より)

15世紀、航海技術が発達していたポルトガルには、財宝や領土探し、そしてローマのカトリック教の影響力を拡大する野心がありました。そこで、1557年に、ポルトガルをメインにした外国人がマカオに続々と住み着き、様々な住宅と公共建築を完成させました。現在、マカオにある数多くの砦や教会建築の起源はそのときに遡れます。17世紀になると、マカオの都市建築はある程度の規模がある、一列の城壁により守られるようになりました。その城壁の東端は、現在のカモンエス広場からモンテの砦と若憲山の一線を境界にし、西端は現在のペンニャ教会あたりまでありました。ポルトガル人をメインとした外国人はこの城内に住み、彼らはそれを「神の名の街」と呼んでいました。城外は中国人の村と田んぼでした。マカオ半島をさらに発展させるため、19世紀末から、政府による埋立地が大幅に増えました。2004年、マカオ半島の面積は8.7平方㎞で、本来の面積の3倍になりました。幸いなことに、マカオの面積は大きくなりましたが、「神の名の街」は本来の姿を保ち、多くの歴史建築があり、それがマカオの大事な文化遺産となったのです。

では、今回はマカオの世界遺産すべてを徒歩とバスに乗って、ぐるっと一周りするルートをご紹介しましょう。

スタートはこちらから!

1.民政総署ビル

マカオ街歩きのランドマークであるセナド広場の真向かいにある建物で、現在はマカオの地方自治局があります。最初の建物は1584年に完成したとされており、その後、何度か改築されたが、マカオの市政はずっとここで管理されてます。中庭へ行く途中の壁にはポルトガルの青いタイル(アズレージョ)が美しく飾られていて、中庭にはポルトガルの詩人ルイス・カモンエス、作家ジョアン・デ・デウスの胸像、ポルトガルの大航海時代を彷彿とさせる天球儀を表した石像などが見られます。

2.聖オーガスティン広場へ向かいましょう

民政総署ビル(写真左側の白い建物)を背にして左側の角を奥に入ります。
この分かれ道にあたったら、左方向へ進みます。
この坂道をまっすぐ進みます。
左側にTRIBUNAというマカオのポルトガル語新聞社が見えてきたら、もう少し。つきあたった広場が聖オーガスティン広場です。広場を囲んで、ロバート・ホー・トン図書館、聖オーガスティン教会、聖ヨセフ修道院及び聖堂、ドン・ペドロ5世劇場が並んでいます。

3.ロバート・ホー・トン図書館

聖オーガスティン広場を入って右側にあるレモンイエローの建物です。1894年以前に建築されたもので、ポルトガル人のドナ・キャロリーナ・クンハの住居を、香港の実業家で大富豪、ロバート・ホー・トンが1918年に購入して別荘として使用していた建物。ロバート・ホー・トンの死後は遺言により建物はマカオ政府に寄付され、1958年に図書館となりました。2005年に図書館の新棟ができ、マカオ最大の図書館として、マカオ市民に利用されています。

4.聖オーガスティン教会

ロバート・ホー・トン図書館の斜め前にあるクリームイエローの教会です。1586年にスペインから来たオーガスティン派の修道士たちによって創建された修道院がもとで、現在の建物は1874年に再建されたものです。何度か修復された時に、資金がなくなったためにワラを使ったことがあり、ワラが龍の髭に見えたことから、地元の中国人が「龍の髭寺院」と呼ばれたこともありました。主祭壇にある十字架を担いだキリスト像は、毎年四旬節の最初の日曜日に「キリスト受難行列」の儀式の中で、いったんカテドラルに運ばれた後、翌日にこの教会に戻されます。

5.ドン・ペドロ5世劇場

聖オーガスティン教会の前にあるモスグリーンの建物です。1860年にマカオに暮らすポルトガル系住民が主導して建設された、アジア初の西洋式の劇場。ポルトガル国王ペドロ5世に敬意を表して、この名前がつけられました。当初は男性専用の社交場でしたが、その後は劇場として使用され、「マカオ劇場」と呼ばれたこともありました。普段は内部は公開されていませんが、マカオオーケストラのコンサートなどで時々、使用されます。

聖ヨセフ教会へ行きましょう

ドン・ペドロ5世劇場の下にある、この坂道を下り、まっすぐ進みます。
この分かれ道は、右方向(黄色い建物のほう)に進みます。
右側に学校(海星中学)がでてきたら、その角を右に曲がります。(写真右の建物が学校)
学校の先に、この門があります。この奥が聖ヨセフ修道院及び聖堂です。

6.聖ヨセフ修道院及び聖堂

1746年から1758年にかけてイエズス会によって建築された教会。イエズス会の修道士が追放された後、ラザロ派の聖職者たちに引き継がれ、1800年には「レアル・セミナリオ」と呼ばれるようになりました。ドーム型の美しい天井には、「IHS」というイエズス会のシンボルが書かれ、フランシスコ・ザビエルの上腕部の遺骨も祀られています。地元の人は「三巴仔」と呼んでいます。

聖ローレンス教会へ向かいましょう

聖ヨセフ修道院及び聖堂を出て左方向に、この建物があります。ここが聖ローレンス教会の裏門(白い車の後ろ)ですので、ここから入りましょう。

7.聖ローレンス教会

1558年から1560年に間に建立された、マカオ三大古堂のひとつ。昔、この教会から海が見え、帆船時代は風の善し悪しが航海の安全につながったので、ポルトガル人はここからよい風が吹くようにと祈っていました。それで、この教会は「風順堂」と呼ばれるようになりました。教会内部には聖ローレンスと聖母伝説のステンドグラスもあります。庭にはかつて共同墓地があり、「1627」「1811」と刻まれた十字形の墓碑も残されています。

鄭家屋敷、リラウ広場に向かいましょう

聖ローレンス教会の正面の門の階段を降りて右方向のこの道(匯也銀行の看板がでています)を進みます。
この道をまっすぐ歩きます。
とにかくまっすぐ歩きます。
少し坂道をくだったところで、この風景が出てきたら、ペパーミントグリーンの建物を右に入ると鄭家屋敷です。

8.鄭家屋敷

中国近代の思想家、鄭觀應の故居で1811年に建てられました。西洋の建築手法を取り入れた、初期のマカオの中国建築といわれています。敷地面積は4000平方メートルもあり、多い時で300名ほどが住んでいました。2002年からの修復で、長い間、公開されていませんでしたが、2010年2月に修復を終え、一般公開されるようになりました。

9.リラウ広場

鄭家屋敷から元の道に戻って反対側の小さな広場がリラウ広場です。リラウとはポルトガル語で山からでた湧き水のことです。昔、ここはマカオの貴重な水源のひとつで、ポルトガル人が早くから居住していた地区でした。当時の民謡に「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」という歌があり、ここから湧き出る水はそれほどポルトガル人によって貴重でした。現在ではこの井戸はマカオ政府によって、ふさがれています。

港務局ビルへ向かいましょう

リラウ広場を背にして左方向へ進みます。鄭家屋敷の裏側(写真右の建物)が見えてきます。
坂をあがると左側に港務局ビルが見えてきます。この道はせまいですがバスも通りますので気を付けましょう。

10.港務局ビル

イタリア人の建築家、カッスートによって設計され、1874年に落成しました。元はマカオの警察部隊を補強するためにインドのゴアから派遣されたムーア人兵士の宿舎でした。現在は港務局のオフィスビルとして使われています。建物の三方面は回廊に囲まれ、風通しがよく、湿気や雨の多いマカオの気候に向いた設計となっています。

媽閣廟へ向かいましょう

港務局ビルを背にして左方向へ進みます。
このグリーンの家が出てきたら、左に曲がります。
お土産物屋さんが並ぶ通りをまっすぐ進みます。
媽閣廟があるバラ広場に到着です。

11.媽閣廟、12.バラ広場

媽閣廟があるバラ岬は、ポルトガル人が最初に植民を行った場所と信じられていて、「媽閣」の広東語読みがマカオの名前の由来になったとされています。阿媽は海の女神で、台湾や中国南方で信仰されている神様です。媽閣廟にある4つある廟のうち、3つに阿媽が祀られています。毎年、旧暦3月23日に阿媽の誕生日を祝う祭りが行われます。媽閣廟前のバラ広場は石畳が美しい広場です。

ここからバスに乗ってセナド広場へ戻ります

媽閣廟の道路はさんで向かいにあるバス停(媽閣廟前地)から、2,5,7,10,10A,18番のバスに乗ります。運賃は3.2パタカ。
2,5,7番バスは6つめ、10,10A,18番バスは5つめの停留所(新馬路)で降ります。媽閣廟前地から所要時間は5分ほどです。降りたら、バスの進行方向へ2分ほど歩くとセナド広場です。

13.セナド広場

中央に噴水があることから地元の人からは「噴水池」と呼ばれる広場。波模様をあしらった石畳が敷き詰められ風情がありますが、クリスマスや中国の伝統的な祝日の際には広場が装飾されて、とてもにぎやかになります。広場に面して、民政総署ビル、郵便局、仁慈堂ビル、マカオ観光局のインフォメーションセンターもあります。

三街会館(関帝廟)に行きましょう

セナド広場を入って左側にあるピンクの建物の先の角を左に曲がり、50メートルほど歩くと三街会館(関帝廟)があります。

14.三街会館(関帝廟)

1792年に建てられた関帝を祀る廟。関帝は三国志の英雄で、マカオでは加護と安定をもたらすとして多くの人が家庭や職場、そしてカジノでも関帝を祀っています。この廟はかつての「三街会館」で、付近にある營地大街、関前正街、草推街の商店会の役割を果たしていました。1912年にマカオ中華総商会という団体ができてからは三街会館としての役割は終わりました。

15.仁慈堂

三街会館からセナド広場に戻り、目の前の白い建物が仁慈堂です。セナド広場の一角に建つ、白が美しい新古典主義様式の建物。現在は公証役場として使われていますが、もともとは1569年にカルネイロ司教によって設立された仁慈堂の施設です。仁慈堂とはポルトガルのレオノール女王が1498年に本国で創設した慈善福祉団体。建物向かって右側にある入口から階段をあがったところにある博物館には、カトリックゆかりの宗教画、陶器などの展示品があります。博物館の奥のテラスからはセナド広場の景観を見ることができます。

カテドラルへ向かいましょう

仁慈堂を背にして右方向へ進み、マクドナルドの角を右に曲がります。
まっすぐ歩いて、この道を抜けると、大堂広場にでます。

16.カテドラル(大堂)、17.大堂広場

1622年に建てられた大聖堂で、聖母マリア誕生に捧げられ、マカオのカトリック教会の中心的役割を担っています。昔は周りに高層ビルがなかったため、それから海を眺めることができたので、船乗りの妻たちはこの教会で夫が帰ってくるのを見ていました。そのため「望人寺(人待ち寺)」とも呼ばれていました。「キリスト受難行列」の儀式もここで行われます。

盧家屋敷に向かいましょう

さきほど上がってきた道と反対側にある、この道を下っていくと、右側に盧家屋敷があります。

18.盧家屋敷

中国広東省出身の商人だった、盧華紹の1889年に建てられた邸宅です。盧華紹は18世紀半ばにマカオに移り住み、銀行業などで財を築きあげました。建物はレンガ使いの2階建てで伝統的な中国式の住居ですが、西洋様式や風水設計も取り入れた芸術性の高いものになっています。定期的に中国の民間工芸のワークショップも開催されています。

聖ドミニコ教会へ行きましょう

盧家屋敷を背にして右方向へ進み、ファンケルハウスがある角を左に曲がります。少し歩いた右側に聖ドミニコ教会があります。

19.聖ドミニコ教会、20.聖ドミニコ広場

1587年にメキシコのドミニコ会の修道士によって創建されました。かつては木造だったので「板樟堂(板造り堂)」と呼ばれました。バロック式の祭壇には聖母子像が祀られており、毎年5月13日に行われるファティマの巡礼では、午後6時にここから聖母像がペンニャ教会まで運ばれます。教会奥の鐘楼には約300点の宗教品が展示される美術館になっています。

聖ポール天主堂跡へ向かいましょう

聖ドミニコ教会を背にして左方向(写真の方向)へ進みます。
ボディショップがある角を左に曲がります。
この角にあたったら右に曲がります。お土産物屋さんが並ぶ通りです。まもなく聖ポール天主堂跡が見えてきます。

21.聖ポール天主堂跡、22.イエズス会記念広場

聖ポール教会はイエズス会によって1602年に創建された教会で、すぐ横にはアジア初の大学になった聖ポール大学がありました。1835年の火事で教会の前壁と68段の階段だけが残されました。ファザードの彫刻は見事で、「石の説教」と言われるほどに宗教的な意味が彫られています。ファザードの下から2段目のキリスト教の4名の聖人像にはフランシスコ・ザビエルを見ることができます。聖ポール天主堂跡の前に広がる広場がイエズス会記念広場で、裏手地下にある天主教芸術博物館には宗教美術品が展示されています。

23.ナーチャ廟、24.旧城壁

ナーチャ廟は聖ポール天主堂跡のすぐ横にある、1888年創建の小さなお寺。ナーチャとは暴れん坊の男の子で、孫悟空にも登場します。武芸の達人で、疫病退治の神様として有名です。ナーチャ廟に隣接して、同じく世界遺産に認定された旧城壁があります。この壁は17世紀初期にポルトガル人が外敵を防ぐために築いたもの。材料はシュナンボーという、土砂、わら、牡蠣の貝殻を混ぜたもので出来ています。

モンテの砦へ向かいましょう

聖ポール天主堂跡に向かって右側にモンテの砦(大砲台)へ上る道が整備されています。

25.モンテの砦

海抜52メートルの丘の上に、1617年から1626年の間にイエズス会の修道士によって築かれた要塞。敷地面積は8000平方メートルで、四方を防壁が 囲んでいますが、中国に近い北側の部分は、中国人の要求によって低く改造されました。1965年から1995年の間には、ここに気象庁の建物がおかれまし たが、その後、1998年にマカオ博物館が完成しました。

聖アントニオ教会へ向かいましょう

聖ポール天主堂跡の入り口あたりまで戻り、左側に延びる道をまっすぐ進みます。
このような石畳の道で、アンティークショップが並ぶ通りです。
とにかくまっすぐ進むと聖アントニオ教会前の噴水広場が見えてきます。

26.聖アントニオ教会

元になった小さな礼拝堂は16世紀に建てられたものですが、最初に石造りの建築が作られたのは1638年のことで、庭に「1638」と記された十字架が残っています。教会は何度か火事にあっていますが、現在の建物は1930年に完成したものです。内部は白い壁にクリーム色の天井が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

ルイス・カモンエス広場へ行きましょう

聖アントニオ教会の脇をぬけた向こう側の、こんもりと木が茂っているところがルイス・カモンエス広場です。広場の周りにはプロテスタント墓地、カーサ庭園、ルイス・カモンエス公園があります。

27.ルイス・カモンエス広場

広場にはお年寄り達がのんびりと過ごしています。広場の後ろには、なだらかな小高い丘全体が公園になっていて、イギリスから招聘した庭師たちが植えたという、 中国、マラッカ、ジャワ、マニラ、インド産の植物が生い茂っています。公園内にある巨大な岩でできた祠の中に、ポルトガルの詩人、ルイス・カモンエスの胸像が安置され ています。カモンエスは1557年から1559年にかけてマカオに滞在し、その間に「ウズ・ルジアダス」という叙事詩の一部を書きました。

28.カーサ庭園

1770年代に建てられた、ルイス・カモンエス公園とプロテスタント墓地の間にある庭園と洋館。もとは地元の富豪であったマヌエル・ペレイラの別荘でした。のちに東インド会社がここを借入れ、スタッフを駐在させていました。その後はマカオ政府の財産になり、現在では東方基金会という財団のマカオ本部として使用されています。

29.プロテスタント墓地

1821年に作られた、マカオで初めてのプロテスタント墓地です。マカオ在住のイギリス人画家、ジョージ・シナリーやマカオに来た初めての宣教師であるロバート・モリソンのお墓があります。墓地の入口にはモリソンに敬意を表して名付けられたモリソン礼拝堂があり、そのステンドグラスには中国語で「太初有道(初めに世界ありき)」と書かれてあります。

ここからバスに乗りギアの丘に移動しましょう

カモンエス広場のバス停(白鴿巣前地)から17番のバスに乗りましょう。運賃は3.2パタカです。
10番目の停留所(皇都酒店)で降ります。粤華中学の目の前です。降りたら、バスの進行方向に向かってまっすぐ歩きます。
左側に茶餐廳「西湾安記」がでてきたら、その角を左に曲がります。
この坂道をまっすぐ上がります。
ここもまっすぐ進み、ギアホテル(東望洋酒店)の横を通過します。
ギアホテルの角、このガードレールがでてきたら左に曲がります。まもなくギアの丘に到着です。

30.ギア要塞、ギア灯台、ギア教会

1622年から1638年にかけてポルトガル人によって築かれた、マカオ半島で一番高い場所(海抜91メートル)にある要塞。ここには、1622年に建てられたとされる、聖母マリアを祀るギア教会があります。かつてポルトガルの船がマカオの近くで台風に遭遇したとき、丘の上から数本の光線がでて、進路を導いてくれました。それで船乗りたちは自分達を助けてくれたのは聖母マリアのご加護だとして、その丘の上に礼拝堂を建てた、という逸話があります。また、1865年には灯台も建てられ、台風の警告シグナルもここに掲げられます。
これでゴールです。いかがでしたでしょうか?1日で十分に全部回れるルートですが、お時間のある方は2日に分けて、のんびり回るのもよいですね。
以上、マカオナビがお伝えしました。

周遊ルートを地図でまとめてご紹介

関連タグ:世界文化遺産

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2010-06-11

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